金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

毎朝更新の予定。主に日米金利、ドル円、先進国株インデックスについて。視点は経済指標、センチメント、需給、テクニカルなどもろもろ。


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以前の関連記事

PBOC引締め(1)人民元相場の安定化 : 金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

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PBOC引締め(2) チャイナショックを振り返る : 金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

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PBOC引締め(3)インターバンク狙い撃ち : 金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

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PBOC引き締め(4) 中国不動産バブルの沈静化 : 金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

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 前回の記事で見てきたように、中国の不動産市場はバブル潰しの金融引き締め及び購買制限により盛り下がっている。価格上昇が鈍り、販売のペースもどんどん減速しているため、不動産投資も盛り下がっており、重厚長大産業に影響を及ぼしている。 


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(以前の記事)

インド株はバブル : 金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

インドの株式指数が連日のように高値を更新しており、インドのNifty50は7月末時点で年初来23%と、各国指数の年初来パフォーマンスの中で香港に次ぐアジア2位、トルコ、ナイジェリア、アルゼンチン、香港に次ぐ世界5位である。しかし、インド株は好調な経済に支えられたもの


India CPI

  上の記事で解説したように、低水準からの成長が鈍化しているインドで、インフレの鈍化による利下げ期待で株がバブルになっていたが、そのシナリオが今あっさり崩れようとしている。早速インフレ圧力が再び強まっているのである。CPIは6月に前年比1%台を付けてから8月には早くも3.4%まで跳ね上がっている。理由はトマトと玉ねぎの値上がりだ。


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 今週末の9月24日にはドイツ議会選挙が控えている。年初には、ここでマルティン・シュルツ率いる左翼政党SPDが旋風を引き起こし、政権交代でドイツが財政拡張に切り替え、南欧に対しての財政緊縮強要を緩和するという期待が一部で盛り上がっていた。しかし、蓋を開けてみるとシュルツ旋風は完全に出オチであり、その後は与党のCDU/CSUに再び大きく引き離された。総選挙に近づいてもフランスの時と異なり全く注目されていない。下はシュルツについて解説した春先の記事。

焦点:ドイツの「庶民派」シュルツ氏、メルケル首相に勝てるか

ドイツ国内での行政経験といえば市長だけ、対する相手は欧州最強の指導者だ。それでもマルティン・シュルツ氏は、11年にわたるメルケル政権に終止符を打ち、欧州におけるドイツの役割を根本的に変えようと考えている。彼がそれに成功しないとは言い切れない。9月24日に行なわれる独連邦議会選挙に向けて、



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 次に世界一読みにくい中国不動産について。極論を言うと、20世紀末から2016年に至るまで中国で不動産バブルが存在したことはない。バブルとはバリュエーション的に正当化できない資産価格を指すが、中国のGDP成長はマックスで北京オリンピック前の14%、減速した後の今でも毎年7%近くある。これが何を意味するかと言うと、たとえ高値掴みしても、住民の所得が毎年7%増えていくので払える家賃もローン返済額も7%増えていき、気づいたら正当化されている。賃貸利回りが低かったのも当然で、将来の住民の所得上昇を織り込んでいたからだ。価格が大きく上昇したものは必ずバブルであり、必ず弾けるというのは停滞した社会でのみ言えることである。


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米金利と米中景況感の相関 : 金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

ここもと米金利の急低下が話題になっている。米景気が全く問題なさそうであり、ISM製造業を始めとする諸指標と米金利の雰囲気が大きく乖離している。ここではISM製造業と米金利のどちらが先行指標であるかを調べてみた。



 米長期金利が2.0台からようやく2.1台に戻ってきた一週間前、上の記事で米国ISM製造業と中国PPIと米金利の関係を分析し、「米金利だけが正しく暗い先行きを織り込んでいる」可能性を排除した。そこから一週間で米金利は2.2を超えてきている。米金利は珍しくISMから乖離したCPIに注目しているというのが所見だったが、その後発表されたCPIが前年比1.7から1.9と切り返したため、CPIによる雑音もなくなった。この結果、もし米金利がISMとの連動を取り戻したらどうなるだろうか。

 

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 北朝鮮が全ての説得や圧力を跳ねのけて核戦力保有に突っ走る原動力について、TV番組でも金正恩はサダム・フセインやカダフィの轍を踏むのが怖いからという話を見るようになったので、まだ陰謀論の感がなくもないが三連休にこの二人について調べてみようと思う。
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1983年、国交正常化の特使としてイラクを訪問したラムズフェルドと握手するサダム・フセイン。
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2009年のローマG8にて、西側に溶け込もうとするカダフィ大佐。


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 ここもと米金利の急低下が話題になっている。米景気が全く問題なさそうであり、ISM製造業を始めとする諸指標と米金利の雰囲気が大きく乖離している。ここではISM製造業と米金利のどちらが先行指標であるかを調べてみた。 
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北朝鮮問題における米中のトラウマ (1) : 金利とセンチメントから資産価格を考えるブログ

北朝鮮はICBMに続いて水爆実験にも成功し、完全に米中の二大国を翻弄した。ここで、米中ともにろくに動けなくなった理由となっているそれぞれのトラウマについて書いてみようと思う。 米軍のトラウマは当然朝鮮戦争である。1950年6月25日に突如始まった北朝鮮軍の南進に対


 元々「同じ民族が停戦ラインに沿って分断された国家のうちの東側」である北ベトナムは北朝鮮と似たような立ち位置であり、ベトナム戦争でも中国は軍事物資と顧問団の双方を送り込んで北ベトナムを支援していた。しかし、中国はソ連との関係悪化からベトナム戦争の最中から対米接近を図り、1972年2月にはニクソンが訪中している。後世から見るとニクソン訪中は「戦争終結のため」と軽く言えるし、中国もベトナムでの軍事的プレゼンスをディールの材料として十二分に活用できたが、北ベトナムから見ると空爆で苦しんでいる時の米中接近は中国の裏切り行為に他ならなかった。結局、(反戦運動に毒された我々のイメージとは異なり)米軍の北爆と米中接近で四面楚歌になった北ベトナムは1973年1月にパリ協定に署名し、南北統一を諦めて停戦に同意する。この時も、さらに1954年にフランス軍を追い出した後にジュネーブ協定で17度線を初めて引かれて南北分断された時も、中国は北ベトナムに西側に妥協するように説得していたという。
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