年末にかけてイランの複数の都市でインフレや高失業率を原因とする大規模な騒乱が発生しており、警察を含む10人以上の死者と数百人の逮捕者を出している。イランの大規模デモは2009年のアフマディネジャド前大統領の下の開票不正疑惑への抗議デモ以来である。
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 イランは今でこそイスラム原理主義に支配された反米・反イスラエル国家であるが、大昔からそうであったわけではない。第二次世界大戦後はパフレヴィー朝の下で石油収入に支えられた親欧米の開発独裁国家であり、今の中東の金満首長国たちよりもさらに欧米化されていた。写真は革命前のイランの女性である。1979年のイラン革命により全てがひっくり返り、今やすっかり原理主義国家になってしまったが、ギリシャ文明と対峙したペルシア帝国の系譜につながる共和国の底力は凄まじく、欧米列強による干渉戦争であるイラン・イラク戦争の洗礼および長い経済制裁を経ても依然中東屈指の大国としての地位は揺らがず、今でも中東を二分する両大勢力の片割れであるシーア派の盟主を務めている。

 さらに21世紀に入ってから、スンニ派の先鋒である宿敵イラクが米国によって壊滅させられたため、中東のパワーバランスではイランは攻勢側である。シリアもアラブの春に起因する内戦に突入すると、イラン革命防衛隊及びシーア派民兵組織ヒスボラの面々を送り込んで対ISで勝利を収め、シリア政府をISと欧米から守り抜いた。カタールとの断交などサウジアラビアの迷走もいわばイランの前進に対する危機感の噴出であると言える。しかし、エリート達のグレート・ゲームは今回の件で台無しになった。

 欧米諸国はデモと聞くとすぐに「市民には平和的なデモを行う権利がある」と言い出すが、破壊行動を伴うデモの「正しい」対処方法を提示したことはない。今のところ政府側の反応は団結を訴え、破壊活動に反対するという控えめなものに留まっている。(最高指導者ハメネイ師はともかく)ロウハニ大統領がついこの前の5月に大統領選による信任を経ているところは他の独裁政権とは一線を画しており、デモであっさり崩壊ような政権ではない。しかし、トランプ大統領は新年早々ツイッターでイランについて"TIME FOR CHANGE!"と煽っており、万が一煽られたデモが政府のコントロールから外れ、実弾を使用した鎮圧行動と米国の介入があれば原油高とリスクオフ要因となり得る。デモ側が早速警察を狙撃したのも気になる。

 中東諸国の嗜みとしてイランも核開発に取り組んでいたが、2015年にオバマ政権との間で合意に達し、核開発を制限する代わりに経済制裁を解除され、一時融和ムードとなっていた。しかし、経済制裁の解除をオバマ政権は条約化しなかったため、親イスラエルのトランプ政権はイラン側の合意違反の証拠をつかめないまま反故にしようとしている。大量破壊兵器の開発を放棄した途端に欧米列強に裏切られて政府を転覆される、というリビア、イラクが辿った轍をイランも転落しかけている。